< 生きる >を活用した道徳授業
- 公開日
- 2020/05/14
- 更新日
- 2020/05/14
できごと
新潟県は、新しい時代を生き抜くために必要となる力をつけるための学習の方策として、<主体的・対話的で深い学びの実現>と、豊かな心の育成を目指すため、<いじめをしない、許さない 命を大切にする意識の醸成>の2点を学校教育の重点として掲げています。
豊かな心の育成に向けて、道徳教育は欠かせません。道徳の授業では、題材を通して、自分の考えを元に、仲間と意見を交わし合ったり、時に議論をしたりして、他者の考えに触れ、自分の考えを再構築したりさらに深めたりしていきます。
学校の再開間もないところですが、4年生では<生きる>という、同和教育を中心に据えた人権教育のための冊子を用いて、道徳の授業を行いました。
内容は、子供たちにとって<自分事に受け止めやすい>学校の日常を取り上げていました。馬鹿にされ傷ついたY子の悲しみからスタートします。友達がY子に言った何気ない日常の一言。言った本人にはそんなに悪気はなかったのかもしれません。
教師の投げかけに、子供たちは真剣に向き合い、自分の考えをまとめていきました。
子供たちは、<言われた人、相手の気持ちを考えて、言葉を使わなくてはならない>、ということに気がつきます。
本を読み進めていくと、<Y子さんが、かわいそう>と、語るHさんの文章に出会います。きっと、4年生であれば、この言葉に共感し、すぐ通り過ぎてしまいそうなところです。<誰が、かわいそうなのかな?他にはいない?>と、教師は投げかけ、子供たちをさらに深い思考へと導きます。
<かわいそう>この言葉の中に、実は見えない、見えにくい差別意識が潜んでいました。見ようとしなければ、差別には気がつかない。人権意識は発達段階に応じながらも、繰り返し繰り返し意識させて考えさせて、磨き上げていかなくてはならないのだ、ということを改めて感じました。
この題材は、<できる、できない>が、人の評価のすべてになってはいけないんだ、という黄色信号を点滅させてもくれました。<その人の良さを見いだし、尊重する><誰もが思いやりを持って、支え合って生きていく>といった、共生社会についても考えさせる、とっても素晴らしい題材でした。